本当の地域密着店の作り方(実践編)

コミュニティマネジメント研究所

いにしえの都 奈良を見て思うこと

 都市力23位(2018年)の奈良から発信する

◆興福寺中金堂が301年ぶりに再建!

みなさんは奈良に行かれたことがはありますか?
奈良と言えば大仏、東大寺が有名ですが、
駅から東大寺に向かうまでの途中に、興福寺というお寺があります。
とりあえず世界遺産になっています。
この興福寺の中金堂が301年ぶりに再建されました。 

金堂:七堂伽藍(がらん)の中心となる堂舎で、本尊仏を安置してある堂をいう。一般にいわれる本堂や仏殿に相当する。 堂内が金色に塗装された堂という意味ではなく、金色(こんじき)の仏像を安置したので名づけられたのであろう。(日本大百科全書より)

興福寺は710年に創建されました。
このお寺は、日本の歴史を牛耳ってきた藤原氏の氏寺です。
ちなみに藤原氏の氏神を祭っているのは、お隣の春日大社です。

昔は、政治的なバックアップもあり、たいそうな勢力を持っていました。
一時期は武装もしており、興福寺の僧兵は恐れられていました。
そのために攻撃の対象にもなり、寺は焼き討ちにあったりしています。

東側から見た興福寺中金堂

七転び八起

中金堂が何回消失したかと言えば7回です。
7回目が1717年で江戸時代です。
そこらか財政難のために再建されず、放置されていました。
私が学生時代は、再建された場所には桜が植えてあり、花見の場所になっていました。
工事を開始したのが2010年。
8年をかけて建造されました。
費用は約60億円。大金です。
おそらくこの建物は、何百年も持たせるつもりで立てているでしょうから、
耐用年数を考えるとそんなに高いものではないかもしれませんね。

西側から見た興福寺中金堂

10月7日(2018年)から完成を祝う落慶法要が始まりました。
初日は約3000人の関係者が集まり、中金堂の屋根を飾る金色の鴟尾(しび) の除幕が行われ、舞楽が奉納されたそうです。
興福寺の貫首(かんす)多川俊映さんは、
「7度の焼失を経験し、今回の再建は文字通り『七転び八起』」と言われ、
「再現した天平文化の空間に祈りをささげてもらいたい」と語られたそうです。
 

興福寺は近所なので、散歩がてら良く行きます。
この写真を撮った日は天気が良く、幕の中では関係者を招いて法要をされていました。

興福寺も1300年以上存在しているので、様々なことがあったと思います。
明治の「廃仏毀釈」の折には、興福寺の僧侶が春日大社の神官になると、
起請文を書いたとのテレビで放送していました。
もともと江戸時代までは「神仏習合」となっており、
ましてや春日大社は兄弟関係なので、それもありかなと思いましたが、
時代環境の変化に対応することはたいへんなことです。

猿沢池から見た興福寺中金堂と興福寺五重塔

でも何があろうと存続し続けることが大切だと思います。
奈良の天理市に内山永久寺跡というところが山の辺の道沿いにあります。
永久2(1114)年に鳥羽天皇の勅願により創建され、
江戸時代末期まで40有余坊の伽藍があり、参詣者が常に絶えなかったといいます。
40の伽藍があるお寺は、全国にもそうないと思います。
しかし、今はわずかに小さな池があるだけになっています。
そして、かつてこの辺りにお寺があったという看板があるだけです。

興福寺中金堂のライトアップ(2018年10月21日撮影)

再建された興福寺中金堂の姿は、存続し続け、何度でも立ち上がる大切さを教えているような気がしました。

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