◇◇◇ パン屋さんへの取材
「森川副店長、そろそろ時間です。行きましょうか。長谷川さんも寺島リーダーも出かけるよ」 そう言って吉村主任は、事務所を出た。
取材をする『豆の木パン工房』はホールからあまり離れていないが、時間がもったいないので、車で移動した。
メイン道路から少し入っていて道も細い。5分前に着いたときには、すでにオーナーの江崎さんが待っていた。
「こんにちは、お邪魔します」
アルバイトスタッフの長谷川凛は常連らしく、オーナーに挨拶した後、店員と親しそうに挨拶をしていた。
ちょうどお店にはお客さんが不在であり、店の隅にあるフードイン風のコーナーで話を聞くことにした。
吉村主任は、今日の訪問の趣旨を改めて説明した。
ジャック久米坂店は地域との共生活動の一環として、
地域の優良店をお客様に紹介したいと考えおり、豆の木パン工房が良ければ、紹介させていただきたい旨を伝えた。
しかし、そのためには店を紹介するかどうかの条件があることも説明した。
「実は、店で紹介をするかどうかは、基本的にスタッフの総意で行っています。
具体的には、このお店のパンを買って帰って、スタッフに食べてもらいます。
そして、うちの店で紹介すべきかどうかを投票して決めます」
「そうなんですか」
「はい。それは実際に『豆の木パン工房』を紹介しておススメするのは、うちのホールスタッフになるからです。
スタッフが実際に美味しいと感じ、お客様に地域の再発見情報として、口コミを広げていくというものです」
「わかりました。それで結構です」
吉村主任はインタビューを始めた。
オーナーの江崎さんは、まだ若い。東京の有名なパン工房で修行して、地元に帰ってきた。
こだわりのパンや、パンを美味しくするための工夫が好きで、日々研究していること。
しかし、予算が無かったので、店舗の立地は妥協したことなどを話してくれた。
吉村主任は、アルバイトの長谷川凛が、豆の木パン工房のファンであること。
実際にパンを食べておいしかったことなどを話した。
森川副店長は、オーナーの話をメモし、インタビューの一連の様子は、寺島リーダーがデジカメで撮影していた。
「最後にお願いがあるのですが、・・・」
吉村主任は、総付け商品の話をし、紹介が決まれば、オリジナルのパンを作ってもらいたいという話をした。
テーマは『感謝』ということを伝えた。
その後、江崎オーナーの説明を受けながら、試食用のパンを買った。
同行した寺島リーダーは、約束だからと言って、一番高いケーキパンを吉村主任に買ってもらった。
帰り道で森川副店長が、吉村主任に声を掛けた。
「吉村主任は、大滝店でもインタビューをしていたの?」
「はい、していました。当時、主任だった関根店長とお店に行ったのが最初です」
「そうなんだ」
「最初は、どんな店でも紹介しようとしたんですけど、コンサルに入っていた北条真由美さんからストップがかかったんです。
それから今日のような条件を設けて、評判の良い店しか案内しないというようになりました」
「なるほどね」
車はすぐにホールについた。ホールに入るとすぐに4人は買ってきたパンを試食用に細かくきり、アルバイト用にスタッフ休憩室に置いた。
そして、その横に味の善し悪しをチェックする試食シートとペンを添えておいた。
インカムで連絡すると、早番は交替で試食のために休憩をとっていった。
そのうち遅番のスタッフも来て試食し、見る間に評価が出来ていった。
今日の時点で、スタッフの4分の3以上のメンバーが、おススメしたいということなので、豆の木パン工房の店内紹介が決まった。
夜、翔太が浅沼店の指導から帰ってくると、森川副店長と吉村主任が報告に来た。
「ふたりともご功労様でした」
「結果をご報告します。今日現在でスタッフの4分の3以上が、おススメしたいということなので、この『豆の木パン工房』を店内で紹介します。
それと来月の総付け商品は、このパン工房さんのオリジナルパンで行います」と吉村主任が報告をした。
「森川副店長は、取材に行かれてどうでしたか?」
「オーナーが同い年ぐらいでした。でも、やはり経営者ですね。苦労話が勉強になりました」
「そのパン屋さんの紹介記事を、これから吉村主任が書くので、それもコミュニティホールの勉強と思って一緒に作成してください。
吉村主任は、知っているものを新たな発見する手法を知っていますので、それを吸収してください」
「わかりました」
森川副店長はそう言うと現在の稼働を確認するために、ホールコンを見に行った。吉村主任もインタビューの整理のためデスクに戻っていった。
◇◇◇ 改装リニューアルに向けての基本プラン
6月の末日、翔太は、森川副店長に声を掛けた。
「なんでしょうか?」
「8月の改装に向けた基本プランをみんなに発表する前に、森川副店長に知っておいてもらいたいと思って声を掛けました」
そう言って翔太はA4の紙を森川副店長に渡した。
改装を契機として、稼働を上げるプランが書かれている。これまで目にしてきた数値計画ではない。
文章による行動計画になっている。これまであまり見慣れていなかったので、一行ずつ計画を目で追って、文を読み直した。何か違和感がある。
「これが今回のリニューアルに対する計画の骨子です。行動プランとしてはもう少し充実させたいけど、現状ではこんなところですね」
稼働から見ると成果は出ていないが、6月の主任の報告を聞きながら、少しずつコミュニティ化が浸透していると翔太は判断していた。
前提として、そのことをまず伝えた。
そして具体的な施策を説明し始めた。
7月のはじめから2週から3週目にかけて会員カードの切り替えを重点的に行う。
7月の20日過ぎに改装予定日の発表。
そこから毎週、総付け商品、ポイント交換会など毎週何かの企画を行い、稼働を上げていく計画であった。
森川副店長は話を聞きながら、もう一度計画を全部見直したが、やはり回収計画や出玉計画がない。 新台の入替はあるが、台数が特に多いわけでもない。いつものような入替となっている。 それでいて改装後の8月末の稼働は18000アウトになっている。 今が15000アウト弱なので、2割アップを考えている。森川副店長は、この計画は机上の空論のように思えた。
「改装前の回収は?」
「しないつもりですよ」
「出玉は?」
「基本的にはしない予定です。ただ、8月の改装を発表し、直後に最初に多少設定を甘くするぐらいと考えていますね。基本的には出玉をしないつもりですよ」
「期待してくるお客様も多いんじゃ?」
「いるかもしれませんが、ターゲットではないので、気にしていません」
森川副店長の経験から言えば、これは失敗するようにしか思えない。
「山崎部長もこの計画を知っているのですか?」
「詳しくは説明していませんが、大枠はご存知ですよ。社長も大枠はご存知です」
森川副店長は納得できなかった。
「森川副店長、大丈夫ですよ。稼働が下がるのは底を打ちましたから。
それに大滝店で、このパターンで稼働を上げましたから、心配はいりませんよ」そう言って翔太は笑った。
翔太は森川副店長が全然納得してないのはよく分かっている。人間、理屈と経験、どちらを大切にするのかと言えば、経験に決まっている。
実際、翔太も大滝店で指導に来ていた北条真由美から、今回のような提案をされた時、森川副店長と同じように真由美に嚙みついた。
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「改装前はお客様が少なくなるのは当たり前じゃないですか。これは業界の常識ですよ。これまでの経験から言っても間違いないですよ」
「関根主任さん。改装前はお客様がいなくなるのは、ホールがお客様から無理に利益を取ろうとするからじゃなくて。
お客様は無理に利益を取らないとわかれば、いなくならないのがお分かりにならないのかしら。
原因と結果のとらえ方が逆転してるんですけど。」
「それは北条さんの理屈ですよ。
仮に百歩譲ってそうだとしても、お客様はこれまで経験から反射的にリスクを避けようとして、いなくなるに決まっているじゃないですか」
「だから、敢えて感謝キャンペーンのようなことをするのが、お分かりにならなくて?
関係づくりができているスタッフが、おススメしてくれる。
これまで閉店前キャンペーンなど経験したことがないから、まさかと思いながら、来てくれる。
実際、店舗が回収モードになっていないので安心する。
敢えて違う店に行く必要はないと引き続き打ってくれる。
他のパチンコ店とは違うと思っていただける最大の演出になるのが、関根主任の乏しい想像力では描けないとおっしゃりたいのかしら・・・」
翔太はいつものようにムカッときたが、当時店長の山崎部長に制せられた。 そして、ここまできたら『毒を食らわば皿まで』と言われるように思い切ってやってみた。 すると稼働が少しずつではあるが上がり、店休日明けの日はかなりのお客様が来て、対応がたいへんだった。 その時、真由美からたくさんの人が来るのが分かっているのに、シフトの対応が出来ていないと、会議で嫌味を言われた。 今となっては懐かしい思い出になっている。
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論より証拠である。翔太は森川副店長の反応を気にしないことにした。
「この計画の成否は、主にお客様とスタッフの信頼関係にあります。
7月の頭にカードの切り替えを大々的に行い、既存のお客様との信頼関係を再構築します。
現在リーダーが中心となって、カード切り替えの事前準備をしてもらっています。
スタッフへの教育もほぼ終わりました。7月はこの作業で、スタッフの工数が結構取られます。
現場が忙しくなるので、率先してフォローをお願いします」
そう言って森川副店長に翔太は頭を下げた。