本当の地域密着店の作り方(実践編)

店舗(パチンコホール)が地域のコミュニティ広場としての取り組みを始めた

関根翔太のコミュニティホール指導回想録

『本当の地域密着店の作り方』の後継本となる予定の連載です。

◇◇◇ 再び山口饅頭堂

 森川副店長は、豆の木パン工房の江崎オーナーと一緒に、山口饅頭堂にいた。 今回で3回目の試食になる。 新作おはぎの試食で、久米坂店のスタッフの4分の3以上が、おススメするというアンケート結果が出た。 その報告と今後の打合せに来ていた。

「山口社長、これがアンケート結果です」
 そう言って森川副店長はスタッフが書いた試食アンケート用紙を渡した。そして一番上にまとめてある集計結果を報告した。 山口社長はその報告を聞き終わると、個々のアンケートに目を通した。 アンケートにはコメント欄があり、前回は悪くないというような消極的な内容が多かったが、今回のアンケートは、非常に好意的な内容が多かった。

『このおはぎは本当に美味しくて、これならいくらでも食べられる』
『このおはぎをおばあちゃんに食べさせたい』
『日本のスイーツってこんなに美味しいとは思わなかった』
『山口饅頭堂さん、頑張ってこの味を広げてください』

 アンケートを見ている山口社長の目には、うっすらと涙がにじんでいた。
 読み終えると山口社長は、森川副店長と江崎オーナーにニッコリ笑って礼を言った。 その笑顔はこれまで見たことが無い素晴らしい笑顔だと森川副店長は思った。
 森川副店長は初めて、山口社長にこれまでの開発の経過を尋ねた。 山口社長は最初のアンケートをもらい、総付け商品の配布を断られた時の思いから語り始めた。

・・・・・・・

 最初は、『パチンコ屋が偉そうに何を言ってやがる』と思った。 他のパチンコ店で、地域の名店というコーナーに自分のお店の掲示をしてもらっているが、全然売上に結びついていない。 だから、豆の木パン工房の売上増加は、偶然の成功だと自分に言い聞かせた。

 二人が帰った後、居間に行くと、妻と小学生の息子と母がいて、 息子が母に「お祖母ちゃん、今度パチンコ店でうちの“おはぎ”が配られるんだって。 友達のパン屋さんみたいに。そしたらうちもお客さんが一杯来るようになるよ」と話しているのを聞いてしまった。
 妻が私に気づいて「どうでした?」と言われた時には、パチンコ店に推薦を断られたとはどうしても言えなかった。 そして私を見た息子が、嬉しそうに「おとうさん、お店が忙しくなったら僕も手伝うね」と言われた時には居たたまれない気持ちになった。 『俺はこのままでは死んだ親父の饅頭屋を潰す、この家族を路頭に迷わす』そう思ったら情けなくなり、私は、「用事を思い出した」と妻に言って外に出た。

 しばらくあてもなく商店街を歩いた。 商店街はシャッターを下ろしている店が多く、薄暗くなってポツポツと明かりがつくと、いっそう寂寥感せきりょうかんが漂ってきた。 街灯の薄明かりの中、薄汚れたシャッターを降ろしっぱなしにしている商店を見ては、うちももうすぐこうなると思った。
 どこをどう歩いたかは覚えていないが、歩いて歩いて、ふと見上げると自分の店の前に立っていた。 白熱灯にぼんやり照らされたうちの看板が目に飛び込んできた。 親父が店をやり始めたとき、自慢げに何度も何度も看板を磨いていたのを思い出した。 その時、どうせ潰れるなら出来る限りのことをやってみようと思った。 そして、うちの職人とも正面から向き合おうと思った。
 帰って妻にだけ、ジャックさんから推薦を断られたことを打ち明けた。 妻は私の様子がおかしかったので、そんなことだろうと思っていたと言った。 そして私の決意を聞くと応援すると言ってくれた。

 翌日、私は職人の安藤さんと木崎さんにアンケートを見せて、味を変えようと相談した。 二人はしばらく黙っていた。私は今の正直な想いを語った。そして協力して欲しいと頭を下げた。 私の決意が本物だと分かると二人はようやく同意をしてくれた。

 それから3人で森川さんが言っていた仙台の“おはぎ”の店を見に行った。 小さなスーパーだった。見ているとどんどん売れていく。 “おはぎ”を10個20個とまとめて買っていく人がいる。 この時始めて、1日5000個を売るという話が、本当だと納得した。

 3人ともその光景に驚嘆した。本当に美味しいものは売れるんだと肌で感じた。 そして、売れなかったのは自分たちの商売人としての努力が足りなかったということが、本当の意味で分かった。
 それからこの“おはぎ”を買って帰り、3人で徹底的に研究した。そして作り上げたのが、2回目にジャックのみなさんに試食をしてもらった“おはぎ”なんですよ。
 でも、アンケートを見る限り、不味くない普通の“おはぎ”ができた程度であり、これではダメだと私は思った。 今度は私が1人で仙台に行き、スーパーの社長に頼み込み、“おはぎ”を作っている奥さんの話を差し支えない範囲で聞かせてもらった。
 それからは毎朝3時に起きて、小豆の種類から砂糖の種類、もち米の産地、水に火加減、煮込み時間など考えられるものをすべて変え、毎回詳しい記録をとり、何回も試行錯誤を重ねていった。
 そしてやっと出来上がったのが、この新作おはぎなんです。

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 森川副店長は話を聞きながら必死でメモを取った。 そして、何としてもこのお饅頭屋さんを繁盛させたいと心の底から思った。

◇◇◇ 準備~思いを形に

 山口社長との打合せの中で、総付け商品の日程は、彼岸の入り直前の9月19日が最適ではないかとなった。
 9月の彼岸の入りに食べる定番と言えば、昔から“おはぎ”である。 春は牡丹餅(ぼたもち)、秋は御萩(おはぎ)。二つはこしあんと粒あんという“あん”の違いだけではなく、形状も違う。
 ぼたもち(牡丹餅)は漢字で書くと良くわかるように牡丹の花に似せて作り、おはぎ(御萩)は萩の花に似せて作る。 だからおはぎは小ぶりの俵形になっている。 小豆の赤い色は厄除け効果があると信じられ、邪気を払う食べ物として、ご先祖様のお供えに使われた。

 久米坂店のお客様は高齢者の方が多い。当初、豆の木パン工房のパンを、22日に総付け商品として配布する予定としていた。 しかし山口社長の話を聞いた江崎オーナーが、9月は山口饅頭堂に是非してくれと言われた。後は日程の問題である。 森川副店長はその場で翔太に電話して、日程変更の承認を取った。 日はないが何とか間に合わせたい、森川副店長はそんな気持ちでいっぱいだった。

 ◇

 森川副店長は、ホール帰ると正式に翔太の承認を得て、山口饅頭堂をジャック久米坂店の推薦店として店内に掲示する準備にかかった。 手の空いている役職者を集め、事情を説明した。早番の終礼、遅番の朝礼でも話をした。 スタッフも試食回数を重ねる中で、山口饅頭堂を応援したいという意識が芽生え始めていた。 それに今回の山口社長の話を聞いて、是非とも自分達も、山口饅頭堂の良さをPRしたいと言ってくれた。

 森川副店長は、山口饅頭堂の紹介ポスターを西谷主任にお願いし、配布当日の段取りを吉村主任と岡田リーダーで考えていた。
 その時、岡田リーダーが『“おはぎ”を出すなら、何かお茶でも配りますか?』という言葉で、森川副店長はピンときた。 森川副店長はすぐに山口社長に電話を掛けた。
「もしもし、ジャックの森川です。急なことで申し訳ありませんが、社長、お知り合いの茶道教室はありませんでしょうか?」
 山口社長は、以前和菓子を納めていた茶道教室があるが、今は取引が無くなっているという話をした。 森川は無料茶会のアイデアを説明し、会うことだけでも出来ないかと山口社長にしつこくお願いをした。 山口社長も面談ぐらいならとアポを取ってくれた。

 ◇

 翌日、森川副店長は山口社長と二人で、茶道の先生の家を訪問した。 もちろん手土産は新作のあんこを使用した和菓子。 それをいただいた先生もこれは美味しいと褒めてくれた。
 森川は茶道の先生に事情を説明し、パチンコホールの休憩室でお茶をたてて欲しいとお願いをした。
 茶道の先生は少し考えていたが、ジャック久米坂店が用水路や歩道の清掃をしているのを見たことがあるし、地域のために体操の会をしているのも知っている。 地域の人への思いやりのこころは、茶道のこころに通じるので、協力しても良いと承諾してくれた。

 そして帰り際に、ちょうど新しいお茶菓子を探していたので、昔のように山口饅頭堂のお饅頭を定期的に持ってきて欲しいと言われた。 山口社長は突然の申し出で驚いたのがよくわかった。 次の瞬間、満面の笑みでお礼を言い、山口社長が深々と頭を下げていた。森川も自分のことのように嬉しかった。 気がつくと一緒に頭を下げていた。これは幸先がいい、そう思いながら二人は茶道教室を後にした。

 森川副店長は山口饅頭堂に行き、山口社長と配布当日の最終打合せを行った。 朝8時、『朝の健康体操の会』の参加者に配布。10時半、14時半はお茶会と合わせて配布。 16時が最終配布と決まった。
 別れ際、森川副店長は何度も山口社長からお礼を言われた。 森川は、もしホールがなんでも適当に推薦していたら、今の山口社長は無いだろうと感じた。 同時に少し厳しいが、地域の良いものだけを育てていこうとする関根店長の方針は、間違いなかったと思った。

 ◇

 ホールに帰ると推奨店舗ポスターが貼ってあった。 カウンターでは22日の総付け商品が急遽変更になり19日になったことを案内していた。 そして、山口饅頭堂のミニチラシも配っていた。 良く見るとホールスタッフもミニチラシを持って、お客様と会話をしている。
 事務所に帰ると吉村主任が『朝の健康体操の会』で話をしたら、「19日には“おはぎ”が食べられる」とみんな喜んでいたので、少し多めに“おはぎ”を準備して欲しいと言われた。

 森川副店長は、店長である翔太に詳細を報告した。翔太は森川副店長の話を聞き、森川副店長を大いに賞賛した。 一番はスタッフ全員を一つにまとめて、地元の人のために動いていること。 そして、それをホール集客に役立て、Win-Winの状態を築きつつあること。 森川副店長の動きが、ホールの地域コミュニティとしての機能を体現しつつあることに、翔太は満足していた。

「ところで森川さん。茶道教室の名前をホールの中で出しても、大丈夫なんですか?」
 翔太の問いに、森川副店長は茶道の先生からOKをもらっていると話した。 それなら、茶道教室の協力にする感謝ポスターを作って貼るようにすればどうだろうと、翔太は言った。

 森川副店長の行動は早かった、当日の打合せということで茶道教室に行き、その先生にいろいろとインタビューをした。 インタビューをすると茶道界では有名な方だとわかった。 感謝ポスターの話をして、写真を載せたいとお願いすると快く承諾していただいた。

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